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ネットビジネスで起業しようと思うに至った、価値観を大きく変えた過去の出来事



どうもスイクンです。

今回は何故

僕は昨年、ネットビジネス月収1000万を稼げるようになったのか

を自己分析した結果に関してです。

ネットビジネスで月収1000万というと

多くの人が憧れることだとは思いますが

そこへ行き着ける人はごく僅かです。

みんな稼げるようになりたいと思いながら

でも結局は途中で諦めてしまったりするのです。

これは気持ちの問題であると僕は考えています。

やりさえすれば月収1000万、

少なくとも月収100万は稼げるのに

何故稼げない人は稼げないのか

そして、稼げる人は稼げるのか

大切なのはどうやって稼いだかの手法を公開するだけではダメで

どのような生き方をしてきたからこそ今があるのかを

伝えることだなと思いました。

では、何故僕はそこへ行き着くことができたのかというと

これからお話をする「とある経験」をしたことが

すべてではないかなと思います。

※以下は物語形式なので「ですます調」ではなくて

「である調」でお話をしていきます。

第1章 世の中なんてこんなもんか…

2010年の夏

僕は人生において

1つの大きな試練を経験していた。

約半年入院生活を送っていたんだけれど

その間毎日38℃の熱が出ているという異常事態。

(正確には、毎日朝は36℃でも、起きるとすぐに38℃に上がったり、

気付いたら36.8℃に下がったりを1日の中で、

5回以上は繰り返す状態でした。

体温調節中枢がおかしくなっていたのでしょう。)

2010年6月25日の早朝にその病が発症して以来

札幌のあちこちの病院に行った。

しかし、どこにいっても原因不明だと言われた。

医師からは

「癌なんじゃないのか?」

とまで言われる始末。

癌ではないかと言われたので

僕なりにも色々考えたんだ。

癌になると異常な細胞が増えているために

体内の免疫機構が「異常物質発見!」とのことで発熱をし、

体内にとっての異常物質を撃退しようとしていたのではないか?

などなどあれこれ頭を使った。

(後に、癌ではないことが判明)

熱だけならまだなんとかなっても

それだけではなかった。

時折、息すらできなくなる。

息ができなくなって苦しいから

助けてもらいたくて救急車を呼ぶ。

しかし、救急車を呼んでも

「またお前が呼んだのか!」と言われ

僕は救急車を呼ぶことすらできなくなった。

夜間救急病院にいっても、帰ることすらできずにグッタリと

待合室で横になっていたにもかかわらず

朝7時になって病院をしめなければいけないからと

看護師が「早く帰ってくださいねー!」と言いながら僕を追い出す。

そんな日々を過ごし約3週間、

札幌で1人で原因不明の病と闘ってきて

精神的にも肉体的にも限界が近づいていた。

ただただずたぼろ。

世の中ってこんなもんなんか…

「もう誰も信じられない」

そんな状態で外に買い物すら行くことすらできなくなり

ただただマンションの非常階段で泣いている日々。

夏の蒸し暑い空気の中

ベッドの上でグターっとなり

あとは熱中症で死ぬのを待つだけか…。

僕はただベッドの上で

色んなことを考えながら

最期の時を待った。

小さいころいつも仲良く遊んでいた、

いとこの大ちゃんのこと。

宅浪していたときは、

嫌で嫌で仕方のなかった祖母のこと。

いつも僕のことを支えてくれた母のこと。

もう会うことはないのだろうと思い

ベッドの上で涙を流しながら、

僕をここまで放っておいた世の中を憎んだ。

「結局人の気持ちなんて誰もわかりっこないんだよ。」

「医師や看護師なんて所詮、患者のことなんて何も考えていない。

面倒だから関わりたくないから薬出して、ほっとくだけ。」

「何が救急隊員だ!

お前らは何のために救急隊員やっているんだよ。

ただ金のためか?」

そういえば、中学の頃から世の中の理不尽さに気付いていたではないか?

今さら何を世界に期待していたんだろう…。

再びこの世に生まれ変わったら、もっと良い世界に生まれていたいなと

そんなことを思いながら僕は最期の眠りについた…。

第2回独りじゃない

2010年7月17日土曜日

その時は朝7時くらいだった。

やけに外からピンポーンという呼び鈴の音が聞こえてきた。

「朝から誰だろう?」って。

もしやこれは夢なのか?

あの時、僕はもう終わっていたはずなのに…。

気付いたらまた朝になっていて

昨日とは変わらない状況だったんだ。

【病はまだ続いている】

この1つの事実が僕を苦しめた。

毎日朝起きるたびに、

あの元気なころに戻っていればいいなと思い

目を覚ますのだが、現実はいつも厳しかった。

治っていなかったのだ。

今回も案の定、夢ではなくて現実だった。

僕はまだ生きていたんだ。

この部屋の汗臭いにおいもすべては生きている証拠。

「ピンポーン!」

あまりにうるさかったので

僕はふらふらしながら玄関まで歩いて行った。

汚いことすら気にもできる状況ではなかったから

靴も履かずに玄関を歩いていき

そして、ドアを開けた。

その瞬間、僕は泣き崩れた。

目の前にいたのは、

はるか遠くからやってきてくれた母だった。

小さいころからいつも僕のことを支えてくれて

いつも見守っていてくれた母がやってきたのだ。

小さいころから見慣れたその顔を見たら

僕はただ泣くことしかできなかった。

それから2日間は1つの決断をしなければいけなかった。

僕には2つしか選択肢が残されていなかった。

  • 大学へこの状態で通いつつ孤独死するか…
  • 地元に帰って病気を治すか…

僕は後者の選択肢を選んだ。

そして、今でも忘れもしない2010年7月19日月曜日

22時00分。夜行列車はまなすに乗り

5人の北大薬学部の友達から見送られ

札幌を後にしたんだ。

【長い戦いになるかもしれない】

【もしかしたら、一生友達と会うことはないのかもしれない】

そんなことを思いながら、電車に揺られていた。

またいつ息ができなくなり、

やばい状態になるかわからないから

とにかく不安だった。

電車に10時間近くも乗っていられるのだろうかって。

でも、もうあの時とはわけが違った。

隣には母がいてくれるのだ。

ただそれだけで僕は満足だった。

電車の中ではこの曲を聞いていた。

http://youtu.be/YI5fD7Jbnuw

札幌で何度も1人で苦しんでいたときに聞いていた曲。

ファイナルファンタジー9の「独りじゃない」。

第3回懐かしいあの町、あの記憶

電車の中では一睡もできなかった。

ただファイナルファンタジーの

「独りじゃない」という曲を聞きながら

そとの景色が変わっていくのが見ていた。

朝5時 1回目の乗り換え

青森だったと思う。

乗り換える際に僕は、当時朝起きた時に

毎日のように起こっていた痙攣に襲われていた。

原因は、恐らく

脱水症状と栄養不足であろうと

僕は考えていた。

約3週間、飲み物は飲んでいたとはいえ

ほとんど何も食べれずにいた。

(食べていたものはウィダーインゼリーのみ)

体が悲鳴をあげていたのだ。

1人で札幌にいた時はいつもそういう状況では

あわてずにアクエリアスなどをがぶ飲みしていた。

そして、震えながら30分程横になっていれば

なんとか痙攣はおさまったのだ。

しかし、今回は場所が違った。

電車の中だ。

しかも、電車の乗り換えをしなければいけない。

乗り換えをする前に、

母からチョコレートとポカリを飲ませてもらった。

それで乗り換えは何とか乗り切ったが

次の電車ではもう無理だということで

休憩室を借りてそこで横になりながら地元へと帰った。

多分1時間くらいであろうか?

しばらくしたら

「次はー○○ー。○○ー。」という車掌さんの声。

聞きなれたその地名を聞いて僕は安心した。

10時間にもわたる

地獄のような列車の旅は終わった。

それから、母の車に乗り20分程のところにある

小さいころよくお世話になっていた

僕の生まれ育った小さな町の小さな医院に向かった。

医院に着いたのはまだ朝の6時半くらい。

それにも関わらず迎え入れてくれた。

そこで初めて僕は思った。

「助かった」と。

小さいころから見慣れた看護婦さんが出てきた。

そして、祖母の姿も。

みんな僕のことを心配してくれていたのだ。

しばらく、ベッドの上で点滴を受け横になっていたら、

古い雑巾のようなタオルを差し出された。祖母だった。

小さいころから僕が住んでいる

あの100年近くも建っている古い家

小さいころからの思い出が詰まった古い家独特のにおい

そんなにおいが、そのタオルには詰まっていた。

「ああ~、自分はまたこの町に戻ってくることができたんだ!」

ってそう思った。

もう戻ってはこれないと思っていた。

でも、この町の静かで自然にあふれた雰囲気が

この町に戻ってこれたことを教えてくれた。

高校生の頃はバカにしていたんだ。この町のことを。

小さくて、自然しかなくて、

何のとりえもないと思っていたこの町を。

しかし、気付いたらこれほどまでに

自分にとって大切な町だったなんて

こんな状況になるまで僕は気付かなかった。

この町にいるならば、奇跡は起きる。

いや、起こせるって思った。

なんとしても治そう!

家族や主治医と、そして心配してくれている人のためにも

僕は病気と立ち向かい、治していくことを決意した。

いつになったら治るかわからないし

もしかしたら…

しかし、最後まで諦めないでいこうと思った。

第4回 今は亡き父の墓の前で

入院したその日、

僕には個室が割り当てられた。

そこから見える外の景色は

自然にあふれていてとても心地よかった。

それからしばらくして

お昼になり食事が運ばれてきた。

札幌にいた時はとにかく

食べることすらできなかったのに

地元に帰ったらお腹が空くという現象を久しぶりに経験した。

約3週間ぶりの食事。

その時の食事は何だったかは覚えていない。

でも、久しぶりに食べる普通のご飯だったから、すごく美味しかったのは覚えている。

もちろん、すべてを食べることはできなかった。

座っていると息苦しさを感じるからだ。

だから、横になっているのが非常に楽。

食べた後はずっと横になっていた。

そして、母が来るのを待っていた。

平日だったから、僕を病院へ届けた後すぐに仕事へ行ったんだ。

息苦しいし、

痙攣も起きるし

吐き気もある

そして、下がらない熱。

でも、知っている医師、看護婦さんや近くにいて

時間が経てば母も来てくれるという安心感から

怖いものは何もなかった。

札幌にいた時は、

毎日悪化する病態に恐怖を感じ

怯えながら過ごしていた。

毎日、胃が痛くなるような眠れない夜を過ごし

真っ暗闇で死の恐怖と闘っていた。

そんな地獄の日々はもう終わったんだ。

あとは、信頼している医師に任せよう。

それから1週間の時が過ぎた。

医師の診断は、今回も原因不明だった。

【何の病なのかわからない】

そう言われても、その時の僕は平気だった。

他の入院している患者さんも

「若いのに入院してどうしたの?」

と優しく声をかけてくれた。

今ならどこへ行っても、

自分の味方をしてくれる人がいる。

そんな安心感があった。

しかし、現実はそんなに甘くはなかった。

ある日、病院のシャワーを浴びていたら

水が鼻に入って息苦しくなった。

それ以来、シャワーを浴びるのが恐怖となった。

ある日、北大薬学部の友達から

「自分も最近体調が悪いんだよね?」

との相談があった。

その文を見た途端、何故か

「僕のせいだ!」と思ってしまった。

それ以来、携帯を見ることができなくなった。

何故か恐怖が日々増えていった。

このまま恐怖が増え続ければ僕は

この世のどこに行っても恐怖を感じてしまうのではないか?

更に怖いことに、母に対して

恐怖心を抱いてしまったらどうしようか?

毎日仕事が終わった後に

疲れているのにもかかわらず

消灯時間までいてくれて

そして、家に帰ってからも

毎日メールを送ってくれる母に対して

恐怖心を抱くことがあるなんて…

そんな…

まさかね…。

不安が頭をよぎった。

それからというもの、

毎日病院の近くにある

僕のご先祖様のお墓がある場所まで通った。

そして、僕が生まれて

すぐに亡くなった父の墓の前で

とにかく祈ったんだ。

【どうか母のことだけは恐怖に感じないように】

これを毎日続けた。

8月中旬から。

第5回友達が忘れていったもの

あれから毎日、

僕はご先祖様のお墓に通っていた。

雨の日も、暑い日も欠かさずに。

そんな思いが通じたのだろうか

9月には町中へ出て

散歩をするまでに回復していた。

もちろん、この時も熱は38℃出ているが

でも中にこもってばかりいては良くないと思って

毎日外を30分程散歩するようにしたんだ。

長年住んでいた町なのに、こうして改めて歩いてみると

なんて素晴らしいところだったんだろうって思い知らされた。

感極まって泣きながら歩いたりした。

それとともに、母に健康に関する本を

町の図書館で借りてきてもらい

ありとあらゆる健康法を試してみた。

健康法の本だけで50冊は読んだだろう。

それらを片っ端から試してみた。

効果があるのかどうかはわからない。

でも、少しでも治る可能性があるのであれば

それを試さずにはいられなかった。

藁でもいいからすがりたい気持ちだった。

そして、自分でも自身の病気について

色々な可能性を探っていた。

薬学部で勉強していて

人体のことには詳しかったので

ありとあらゆる可能性を考えた。

そうして、辿り着いた答えは

「自律神経失調症」

そして、札幌で1人で怯えていたとき

極度の不安から生じた「不安障害」

更に、札幌にいた時に毎日起こった痙攣は

栄養不足と脱水症状によるもの。

これしかないと、僕は考えた。

こう考えれば

自律神経からくる体温調節中枢の異常による熱

そして、吐き気と呼吸困難、不眠、動悸。

不安障害による、恐怖心。

すべてが説明がつく。

納得ができる。

その自分の推理を医師に話したら

「うん、病名を付けるとすれば難しいが

自律神経の異常からくるものだろう。」

と言ってくれた。

何だかわからないと思っていた漠然とした病気が

これによって、どうやって対処したらいいか明確になった。

体温調節中枢が異常になっているのなら

そう簡単に治るわけがない。

だから、熱が出るのは仕方がないと思った。

この熱は時期が来れば良くなるだろうと

軽い気持ちで受け止められるようになった。

そして、自律神経の乱れを少しでも早く治すために

  • 規則正しい生活
  • バランスの良い食事
  • 日光を浴び、適度な運動

これを日々心がけたんだ。

「原因さえわかれば不安なんて何もない」

「病気を倒しに行ってやる!」

っていう感じに受け止められるくらいに回復した。

そして、僕はもっと勉強を始めた。

いつも人体に関する事や薬に関する事の本を読み漁っていた。

そんな様子を見て回診の時に医師も

「ガハハ!先生みたいに医者になるのかい?」

なんて冗談を言ったりした。

僕は人の命を救う仕事に、この時興味を持った。

医師という選択肢もいいなと。

でも、ここで考えたのは

日本一の薬剤師になろうってこと(笑)

薬に頼って治すんじゃなくて、日々の栄養管理とか

そういった面でもしっかりと指導できる

薬剤師になりたいとそう思った。

だから栄養学についても、

この時めちゃくちゃ勉強したんだ。

そんな少しずつ生きるのに

希望の光が差してきた9月の下旬

なんと、夏休みを利用して

わざわざ札幌から東北の田舎町まで

北大薬学部の友達が医院へお見舞いに来てくれたのだ。

あの2010年7月19日に

札幌駅で見送ってくれた中の3人だ。

約2か月ぶりの再会。

2か月前はやせ細って、

夏だというのに色も白く

泣いていた自分であったが

この時は、毎日散歩をしていたため

日に焼けて、そして人生に希望を持ち始めた

明るい笑顔でみんなと会うことができたんだ。

2時間くらいしか話はできなかったが

わざわざ遠くから会いに来てくれることに感動。

そして偶然にも、来てくれた人の中の1人が

僕の病室に帽子を忘れていったんだ。

その事をメールで伝えたら

「あの帽子捨ててもいいよ(笑)」って返ってきた。

けれど、僕はこの帽子を札幌の親友に届けるために

冬には僕の方から札幌へみんなに会いに行こうと決意した。

こんな親友を持てて僕は幸せだなと

その日の夜は枕を濡らしたのは内緒の話。

第6回生きがいを持ち楽しく生きる それが最高の健康法

2010年10月

将来は人の命を救う仕事がしたいと思い

日々病室で勉強をし始めていた。

  • 今の医療業界のこと
  • 病気になる原因
  • 病気を治す方法

これらについて日々学んでいった。

2010年11月

僕は自分の人生を考え始めた。

このまま大学を卒業して薬剤師になるべきなのか?

自分が本当にやりたいのは

人から言われて人の命を救うのではなくて

自分の判断で人の命を救う仕事がしたい。

だから、医師だとか薬剤師になった時点で

その業界のしがらみに付きまとわれ

結局自分のやりたいことなんて出来ないのではないか?

薬剤師の現状は、

母がそうであったから良く知っていた。

人から雇われている限り

そこの経営者の言うことが絶対で

それに逆らうことなんてできない。

逆らったら首。

そして、生活すら危うくなる。

ほとんどの大人は、自分のやりたいことを捨てて

その会社で生きていくにふさわしい人間になりすましている。

だから、ストレスがたまり様々な病気に罹る。

このまま北大薬学部を卒業して薬剤師になったところで

待ち望んでいる運命は、ただの奴隷となって働くことだろう。

自分の意見を押し殺し、

会社の思うままとなって働かされる

ただの奴隷に…

そうなったら、また僕は今回と

同じような状況になってしまうだろう。

何度も入院を繰り返し、自分の体を苛め抜いて

生きていかなければいけなくなる。

大切なのは、『自分がやりたいかどうか』。

(後に「やりたいかどうか」だけでは

生きていけないことに気付く。

お金があってこそ、やりたいことができる。)

僕がやりたいのは、

人の命を根本的なところから救うこと。

人に生きがいを持って、

自分の意思で生きてもらうこと。

それが最も健康的に生きる方法だから。

そのために、最初は

薬剤師の雇用環境を良くしたいために

自分が調剤薬局を作って、薬局事情を

もっと詳しく知ろうと思った。

それから、後に薬に頼らない病院を作ろうと。

こうしている間に時は過ぎた。

2010年12月25日

僕は、札幌へ行き友達と会った。

あの時見送りに来てくれた5人全員。

クリスマスだというのに、研究があり忙しい中

研究室を抜け出して夜19時頃に

札幌駅にみんなで集まってくれた。

そして、夕食を共に食べながら

この半年間のことを語った。

休学をするという別の道を歩んでいった僕と

友達はまったく別の体験をしているのだ。

  • 研究室の厳しさ
  • 将来はどうやって生きていくか?
  • この道を選んだことは良かったのか?

そんな真面目な話もした。

友達が歩んでいった道は結局僕も

1年後に体験することになる未来。

研究室生活がどれだけ辛いことなのか

話を聞いていて理解した。

帰り際、地元に来てくれた友達の1人が

忘れていった帽子を渡した。

この帽子には色んな思いが込められていた。

僕がこうして札幌に来て

みんなと会えるまでに回復した証拠だ。

「来年の春、また会おう!」と共に誓い

札幌駅から夜行列車はまなすにのり

僕は再び地元へ帰った。

第7回 4年前のタイムカプセル

札幌から帰って2日後、

今度は高校の同窓会が行われた。

医師は「お酒は飲んじゃだめだぞ!(笑)」

と言って参加を認めてくれた。

2010年12月28日 19時

隣町の古びれたホテルの

レストランで開催された高校の同窓会。

この同窓会では4年ぶりに会う友人がほとんどだった。

大学に入ってからは、

僕はほとんど札幌で生活することが多かったため

地元に戻って友達と会うということは少なかった。

高校の卒業式で別れて以来、

全くその後の連絡をとれていなかった人もたくさん。

そのため、非常にこの日を楽しみにしていた。

あれからみんなは

どのような人生を歩んでいったのだろうか?

そして、今後の人生をどのように生きていくのか?

そんな話をするのが大好きだ。

この同窓会では、基本的には

食事をしながら上述したような話をしていくのだが

とっておきのメインイベントがあった。

それはタイムカプセル企画。

僕らがまだ高校3年の11月、

まだ受験勉強真っ盛りの時期に

4年後の自分へ向けて書いた手紙が

それぞれに渡されるというものだ。

あの頃の自分が、

未来の自分へ向けて書いた手紙が

4年の時を経て渡された。

今になってみると恥ずかしくなるような

まだ、社会や受験の厳しさを知らない高校生が書いた

調子にのりまくった内容。過激発言。

ちょっと内容を明かすと

  • 東大に向けて頑張ったのか?というメッセージ
  • 一流企業へ内定しているのか?という脅し

そんな「一流」という言葉が好きだった

高校時代の僕が読み取れる手紙だった。

しかし、残念なことに

僕はその手紙に書いた内容を

開封する前から完全に覚えていた。

「4年程度では忘れるわけないでしょ!!

もっと期間を開けてくれないと!

せめて10年だよね。」

と正直思っていた。

だから、手紙に対しては特に感動がなかった。

感動と言えば、

僕がこうして生きて

みんなと元気に会えたこと。

それがすべてだった。

青春とも呼べる高校時代を共に過ごした仲間と

無事にこうして再び出会えたことが

一番のプレゼントであった。

もしあの夏、運が悪ければ

僕はいなくなっていたのだから。

2010年12月30日

僕は遂に164日間という長い入院生活を終えた。

最後の食事は噛みしめて食べた。

半年前は、息苦しくて泣きながら無理やり食べていた食事も

今は美味しく食べれるようになっていた。

バランスのとれていて、野菜をふんだんに使った食事。

この味とももうお別れなのかと思うと、

急に退院するのが嫌になったりもした。

僕はこの半年で
この町のことがより好きになった。

絶望の中から僕を救ってくれたこの町を

そして町に住むすべての人を

いつまでも大切にしていきたいとそう強く思った。

7月20日にこの医院へ僕が運ばれてきたとき

「俺の診察はいいから、お兄ちゃんの診察を早くしてあげてくれ!」

と言ってくれた、僕より早く医院へ来て診察を待っていたおじさん。

胃潰瘍になって、辛そうなのにも関わらず

いつも僕のことを心配してくれていたおじいちゃん。

いつも笑顔で食事を運んでくれた栄養士さん。

そんな素敵な人を育て上げたこの町が大好きだ。

この事実に気付くまでに、

21年という莫大な時間がかかってしまった…。

そして、最後は他の入院患者さんや

医師、看護婦さんを含めてみんなで記念撮影。

僕が半年間居座った病室なども入念にカメラに収めた。

最後には、みんなが笑顔で見送ってくれた。

まだ入院生活が続く方へ

病気が治りますようにとの思いを込めて

この医院を後にした。

あの頃の思い出の写真は今も

地元の古い携帯電話の中に眠っている。

あとがき

こうして、僕はあの夏、命を落とすことなく今を生きている。

すべては偶然である。

あの時、何かが狂っていたら、僕は今こうして生きていないのかもしれない。

こうして生きていられるのも、あの時助けてくれた地元の人達のおかげである。

地元の人達に恩返しをしたい。

だから、僕は将来的に地元に戻り地元のために働いていきたい。

そのために一番よい道が、起業をする道であると思ったのだ。

あの時の強い思いが、今こうして実っている。

普通であれば、ただの大学生が月収数百万、

1000万なんていう金額はあり得ないだろうと思う。

しかし、あの時の出来事が

僕の学歴にとらわれた価値観を大きく変えてくれて、

社会のレールを踏み外し起業をするという道を可能にしてくれた。

人生で無駄な経験は1つもないと思う。

すべてはどこかで活きてくる。

今、もし何か辛い経験をしているのであるとしても、

その現実から目を背けずに立ち向かって貰いたい。

【自分の現実を変えられるのは、自分自身しかいない。】

追記

同じような病を抱えている方から、

僕のこの経験を読んで感動しましたとか勇気づけられました

との声が届きます。

僕は1人の情報発信者として

、お金の稼ぎ方だけではなくて、

同じような病に苦しんでいる人に

少しでも勇気を与えられるような記事も書いていきたいです。

同じ病に苦しんだ方はわかるかと思いますが、

僕がこの文章に書いた苦しみは、

実際に経験した苦しみの1万分の1程度のものです。

あの夏、札幌で苦しんだ日々は今でも忘れる事はできません。

でも、今になって振り返ってみると、

あの夏程、僕は生きることに必死だったことはなかったなと思います。

あの出来事で多くの人が救えるのであれば、

しばらくしたらこの経験ももっと詳しく記事にして書いていきたいと思っています。

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5 Responses to “ネットビジネスで起業しようと思うに至った、価値観を大きく変えた過去の出来事”

  1. 副業サラリーマンみつはた より:

    はじめまして!

    みつはたと申します。

    人気ブログランキングからアクセスさせて頂きました。

    プロフィール拝見させて頂きました。

    札幌にお住まいだったんですね!

    ですがそれ以上に…壮絶な経験をされてきたんですね。

    当時、生きるために必死だったからこそ、

    今があるのではと感じております。

    これからも頑張ってください!

    PS.
    応援クリック、押しときました♪

  2. さだ より:

    スイクンさんのパートナーのNさんを

    参考にさせていただいているものです。

    スイクンさんのブログを見たのは初めてですが、

    名前はよく知っています。 笑

    アフィリエイトの参考記事を探していたらたまたまここに来ました。

    そして、探していた情報ではなく、スイクンさんの過去の出来事が気になって

    読み始めたら、最後まで読んでしまいました。

    私は病気とは無縁の方なんですが、

    感情移入してしまう時間でした。

    これから度々サイトにも訪れさせていただこうと思いました。

  3. けいぞう より:

    スイクンさん、こんにちは。

    けいぞうと申します。

    僕も、スイクンさんがなぜここまで活躍されるのか、
    その理由を知りたくて、この記事にたどり着きました。

    最初から最後まで読ませて頂いて、スイクンさんが
    活躍されている理由が良く分かりました。

    僕はスイクンさんのような大きな壁を乗り越えた経験は
    ないのですが、少なくとも、これから訪れるであろう壁は、
    スイクンさんのそれとは比べるに値しない小さな事なんだと
    思います。

    そう思うことで、前向きに実践できる自分を手に入れることが
    できるかもしれないと感じました。

    大変、読み応えのある、貴重な情報をありがとうございました。

    スイクンさん、これからも応援させてもらいますね!

    • スイクン より:

      けいぞうさん、どうもスイクンです。

      この長い文章を読んで頂きありがとうございます!

      誰かに勇気を与えられればと思い
      この文章を残しておいてます笑

      読んで頂ける方がいるのは非常に嬉しいです!

  4. どん・たこす より:

    感動しました。
    スイクンさんを応援します!

    私もスイクンさんの発信する情報から勉強して、自由で豊かな生活を手にいれます

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