目次
第1章 世の中なんてこんなもんか…
2010年の夏 僕は人生において 1つの大きな試練を経験していた。 約半年入院生活を送っていたんだけれど その間毎日38℃の熱が出ているという異常事態。 (正確には、毎日朝は36℃でも、起きるとすぐに38℃に上がったり、 気付いたら36.8℃に下がったりを1日の中で、 5回以上は繰り返す状態でした。 体温調節中枢がおかしくなっていたのでしょう。) 2010年6月25日の早朝にその病が発症して以来 札幌のあちこちの病院に行った。 しかし、どこにいっても原因不明だと言われた。 医師からは 「癌なんじゃないのか?」 とまで言われる始末。 癌ではないかと言われたので 僕なりにも色々考えたんだ。 癌になると異常な細胞が増えているために 体内の免疫機構が「異常物質発見!」とのことで発熱をし、 体内にとっての異常物質を撃退しようとしていたのではないか? などなどあれこれ頭を使った。 (後に、癌ではないことが判明) 熱だけならまだなんとかなっても それだけではなかった。 時折、息すらできなくなる。 息ができなくなって苦しいから 助けてもらいたくて救急車を呼ぶ。 しかし、救急車を呼んでも 「またお前が呼んだのか!」と言われ 僕は救急車を呼ぶことすらできなくなった。 夜間救急病院にいっても、帰ることすらできずにグッタリと 待合室で横になっていたにもかかわらず 朝7時になって病院をしめなければいけないからと 看護師が「早く帰ってくださいねー!」と言いながら僕を追い出す。 そんな日々を過ごし約3週間、 札幌で1人で原因不明の病と闘ってきて 精神的にも肉体的にも限界が近づいていた。 ただただずたぼろ。 世の中ってこんなもんなんか… 「もう誰も信じられない」 そんな状態で外に買い物すら行くことすらできなくなり ただただマンションの非常階段で泣いている日々。 夏の蒸し暑い空気の中 ベッドの上でグターっとなり あとは熱中症で死ぬのを待つだけか…。 僕はただベッドの上で 色んなことを考えながら 最期の時を待った。 小さいころいつも仲良く遊んでいた、 いとこの大ちゃんのこと。 宅浪していたときは、 嫌で嫌で仕方のなかった祖母のこと。 いつも僕のことを支えてくれた母のこと。 もう会うことはないのだろうと思い ベッドの上で涙を流しながら、 僕をここまで放っておいた世の中を憎んだ。 「結局人の気持ちなんて誰もわかりっこないんだよ。」 「医師や看護師なんて所詮、患者のことなんて何も考えていない。 面倒だから関わりたくないから薬出して、ほっとくだけ。」 「何が救急隊員だ! お前らは何のために救急隊員やっているんだよ。 ただ金のためか?」 そういえば、中学の頃から世の中の理不尽さに気付いていたではないか? 今さら何を世界に期待していたんだろう…。 再びこの世に生まれ変わったら、もっと良い世界に生まれていたいなと そんなことを思いながら僕は最期の眠りについた…。第2回独りじゃない
2010年7月17日土曜日 その時は朝7時くらいだった。 やけに外からピンポーンという呼び鈴の音が聞こえてきた。 「朝から誰だろう?」って。 もしやこれは夢なのか? あの時、僕はもう終わっていたはずなのに…。 気付いたらまた朝になっていて 昨日とは変わらない状況だったんだ。 【病はまだ続いている】 この1つの事実が僕を苦しめた。 毎日朝起きるたびに、 あの元気なころに戻っていればいいなと思い 目を覚ますのだが、現実はいつも厳しかった。 治っていなかったのだ。 今回も案の定、夢ではなくて現実だった。 僕はまだ生きていたんだ。 この部屋の汗臭いにおいもすべては生きている証拠。 「ピンポーン!」 あまりにうるさかったので 僕はふらふらしながら玄関まで歩いて行った。 汚いことすら気にもできる状況ではなかったから 靴も履かずに玄関を歩いていき そして、ドアを開けた。 その瞬間、僕は泣き崩れた。 目の前にいたのは、 はるか遠くからやってきてくれた母だった。 小さいころからいつも僕のことを支えてくれて いつも見守っていてくれた母がやってきたのだ。 小さいころから見慣れたその顔を見たら 僕はただ泣くことしかできなかった。 それから2日間は1つの決断をしなければいけなかった。 僕には2つしか選択肢が残されていなかった。- 大学へこの状態で通いつつ孤独死するか…
- 地元に帰って病気を治すか…
第3回懐かしいあの町、あの記憶
電車の中では一睡もできなかった。 ただファイナルファンタジーの 「独りじゃない」という曲を聞きながら そとの景色が変わっていくのが見ていた。 朝5時 1回目の乗り換え 青森だったと思う。 乗り換える際に僕は、当時朝起きた時に 毎日のように起こっていた痙攣に襲われていた。 原因は、恐らく 脱水症状と栄養不足であろうと 僕は考えていた。 約3週間、飲み物は飲んでいたとはいえ ほとんど何も食べれずにいた。 (食べていたものはウィダーインゼリーのみ) 体が悲鳴をあげていたのだ。 1人で札幌にいた時はいつもそういう状況では あわてずにアクエリアスなどをがぶ飲みしていた。 そして、震えながら30分程横になっていれば なんとか痙攣はおさまったのだ。 しかし、今回は場所が違った。 電車の中だ。 しかも、電車の乗り換えをしなければいけない。 乗り換えをする前に、 母からチョコレートとポカリを飲ませてもらった。 それで乗り換えは何とか乗り切ったが 次の電車ではもう無理だということで 休憩室を借りてそこで横になりながら地元へと帰った。 多分1時間くらいであろうか? しばらくしたら 「次はー○○ー。○○ー。」という車掌さんの声。 聞きなれたその地名を聞いて僕は安心した。 10時間にもわたる 地獄のような列車の旅は終わった。 それから、母の車に乗り20分程のところにある 小さいころよくお世話になっていた 僕の生まれ育った小さな町の小さな医院に向かった。 医院に着いたのはまだ朝の6時半くらい。 それにも関わらず迎え入れてくれた。 そこで初めて僕は思った。 「助かった」と。 小さいころから見慣れた看護婦さんが出てきた。 そして、祖母の姿も。 みんな僕のことを心配してくれていたのだ。 しばらく、ベッドの上で点滴を受け横になっていたら、 古い雑巾のようなタオルを差し出された。祖母だった。 小さいころから僕が住んでいる あの100年近くも建っている古い家 小さいころからの思い出が詰まった古い家独特のにおい そんなにおいが、そのタオルには詰まっていた。 「ああ~、自分はまたこの町に戻ってくることができたんだ!」 ってそう思った。 もう戻ってはこれないと思っていた。 でも、この町の静かで自然にあふれた雰囲気が この町に戻ってこれたことを教えてくれた。 高校生の頃はバカにしていたんだ。この町のことを。 小さくて、自然しかなくて、 何のとりえもないと思っていたこの町を。 しかし、気付いたらこれほどまでに 自分にとって大切な町だったなんて こんな状況になるまで僕は気付かなかった。 この町にいるならば、奇跡は起きる。 いや、起こせるって思った。 なんとしても治そう! 家族や主治医と、そして心配してくれている人のためにも 僕は病気と立ち向かい、治していくことを決意した。 いつになったら治るかわからないし もしかしたら… しかし、最後まで諦めないでいこうと思った。第4回 今は亡き父の墓の前で
入院したその日、 僕には個室が割り当てられた。 そこから見える外の景色は 自然にあふれていてとても心地よかった。 それからしばらくして お昼になり食事が運ばれてきた。 札幌にいた時はとにかく 食べることすらできなかったのに 地元に帰ったらお腹が空くという現象を久しぶりに経験した。 約3週間ぶりの食事。 その時の食事は何だったかは覚えていない。 でも、久しぶりに食べる普通のご飯だったから、すごく美味しかったのは覚えている。 もちろん、すべてを食べることはできなかった。 座っていると息苦しさを感じるからだ。 だから、横になっているのが非常に楽。 食べた後はずっと横になっていた。 そして、母が来るのを待っていた。 平日だったから、僕を病院へ届けた後すぐに仕事へ行ったんだ。 息苦しいし、 痙攣も起きるし 吐き気もある そして、下がらない熱。 でも、知っている医師、看護婦さんや近くにいて 時間が経てば母も来てくれるという安心感から 怖いものは何もなかった。 札幌にいた時は、 毎日悪化する病態に恐怖を感じ 怯えながら過ごしていた。 毎日、胃が痛くなるような眠れない夜を過ごし 真っ暗闇で死の恐怖と闘っていた。 そんな地獄の日々はもう終わったんだ。 あとは、信頼している医師に任せよう。 それから1週間の時が過ぎた。 医師の診断は、今回も原因不明だった。 【何の病なのかわからない】 そう言われても、その時の僕は平気だった。 他の入院している患者さんも 「若いのに入院してどうしたの?」 と優しく声をかけてくれた。 今ならどこへ行っても、 自分の味方をしてくれる人がいる。 そんな安心感があった。 しかし、現実はそんなに甘くはなかった。 ある日、病院のシャワーを浴びていたら 水が鼻に入って息苦しくなった。 それ以来、シャワーを浴びるのが恐怖となった。 ある日、北大薬学部の友達から 「自分も最近体調が悪いんだよね?」 との相談があった。 その文を見た途端、何故か 「僕のせいだ!」と思ってしまった。 それ以来、携帯を見ることができなくなった。 何故か恐怖が日々増えていった。 このまま恐怖が増え続ければ僕は この世のどこに行っても恐怖を感じてしまうのではないか? 更に怖いことに、母に対して 恐怖心を抱いてしまったらどうしようか? 毎日仕事が終わった後に 疲れているのにもかかわらず 消灯時間までいてくれて そして、家に帰ってからも 毎日メールを送ってくれる母に対して 恐怖心を抱くことがあるなんて… そんな… まさかね…。 不安が頭をよぎった。 それからというもの、 毎日病院の近くにある 僕のご先祖様のお墓がある場所まで通った。 そして、僕が生まれて すぐに亡くなった父の墓の前で とにかく祈ったんだ。 【どうか母のことだけは恐怖に感じないように】 これを毎日続けた。 8月中旬から。第5回友達が忘れていったもの
あれから毎日、 僕はご先祖様のお墓に通っていた。 雨の日も、暑い日も欠かさずに。 そんな思いが通じたのだろうか 9月には町中へ出て 散歩をするまでに回復していた。 もちろん、この時も熱は38℃出ているが でも中にこもってばかりいては良くないと思って 毎日外を30分程散歩するようにしたんだ。 長年住んでいた町なのに、こうして改めて歩いてみると なんて素晴らしいところだったんだろうって思い知らされた。 感極まって泣きながら歩いたりした。 それとともに、母に健康に関する本を 町の図書館で借りてきてもらい ありとあらゆる健康法を試してみた。 健康法の本だけで50冊は読んだだろう。 それらを片っ端から試してみた。 効果があるのかどうかはわからない。 でも、少しでも治る可能性があるのであれば それを試さずにはいられなかった。 藁でもいいからすがりたい気持ちだった。 そして、自分でも自身の病気について 色々な可能性を探っていた。 薬学部で勉強していて 人体のことには詳しかったので ありとあらゆる可能性を考えた。 そうして、辿り着いた答えは 「自律神経失調症」 そして、札幌で1人で怯えていたとき 極度の不安から生じた「不安障害」 更に、札幌にいた時に毎日起こった痙攣は 栄養不足と脱水症状によるもの。 これしかないと、僕は考えた。 こう考えれば 自律神経からくる体温調節中枢の異常による熱 そして、吐き気と呼吸困難、不眠、動悸。 不安障害による、恐怖心。 すべてが説明がつく。 納得ができる。 その自分の推理を医師に話したら 「うん、病名を付けるとすれば難しいが 自律神経の異常からくるものだろう。」 と言ってくれた。 何だかわからないと思っていた漠然とした病気が これによって、どうやって対処したらいいか明確になった。 体温調節中枢が異常になっているのなら そう簡単に治るわけがない。 だから、熱が出るのは仕方がないと思った。 この熱は時期が来れば良くなるだろうと 軽い気持ちで受け止められるようになった。 そして、自律神経の乱れを少しでも早く治すために- 規則正しい生活
- バランスの良い食事
- 日光を浴び、適度な運動
第6回生きがいを持ち楽しく生きる それが最高の健康法
2010年10月 将来は人の命を救う仕事がしたいと思い 日々病室で勉強をし始めていた。- 今の医療業界のこと
- 病気になる原因
- 病気を治す方法
- 研究室の厳しさ
- 将来はどうやって生きていくか?
- この道を選んだことは良かったのか?
第7回 4年前のタイムカプセル
札幌から帰って2日後、 今度は高校の同窓会が行われた。 医師は「お酒は飲んじゃだめだぞ!(笑)」 と言って参加を認めてくれた。 2010年12月28日 19時 隣町の古びれたホテルの レストランで開催された高校の同窓会。 この同窓会では4年ぶりに会う友人がほとんどだった。 大学に入ってからは、 僕はほとんど札幌で生活することが多かったため 地元に戻って友達と会うということは少なかった。 高校の卒業式で別れて以来、 全くその後の連絡をとれていなかった人もたくさん。 そのため、非常にこの日を楽しみにしていた。 あれからみんなは どのような人生を歩んでいったのだろうか? そして、今後の人生をどのように生きていくのか? そんな話をするのが大好きだ。 この同窓会では、基本的には 食事をしながら上述したような話をしていくのだが とっておきのメインイベントがあった。 それはタイムカプセル企画。 僕らがまだ高校3年の11月、 まだ受験勉強真っ盛りの時期に 4年後の自分へ向けて書いた手紙が それぞれに渡されるというものだ。 あの頃の自分が、 未来の自分へ向けて書いた手紙が 4年の時を経て渡された。 今になってみると恥ずかしくなるような まだ、社会や受験の厳しさを知らない高校生が書いた 調子にのりまくった内容。過激発言。 ちょっと内容を明かすと- 東大に向けて頑張ったのか?というメッセージ
- 一流企業へ内定しているのか?という脅し
はじめまして!
みつはたと申します。
人気ブログランキングからアクセスさせて頂きました。
プロフィール拝見させて頂きました。
札幌にお住まいだったんですね!
ですがそれ以上に…壮絶な経験をされてきたんですね。
当時、生きるために必死だったからこそ、
今があるのではと感じております。
これからも頑張ってください!
PS.
応援クリック、押しときました♪
スイクンさんのパートナーのNさんを
参考にさせていただいているものです。
スイクンさんのブログを見たのは初めてですが、
名前はよく知っています。 笑
アフィリエイトの参考記事を探していたらたまたまここに来ました。
そして、探していた情報ではなく、スイクンさんの過去の出来事が気になって
読み始めたら、最後まで読んでしまいました。
私は病気とは無縁の方なんですが、
感情移入してしまう時間でした。
これから度々サイトにも訪れさせていただこうと思いました。
スイクンさん、こんにちは。
けいぞうと申します。
僕も、スイクンさんがなぜここまで活躍されるのか、
その理由を知りたくて、この記事にたどり着きました。
最初から最後まで読ませて頂いて、スイクンさんが
活躍されている理由が良く分かりました。
僕はスイクンさんのような大きな壁を乗り越えた経験は
ないのですが、少なくとも、これから訪れるであろう壁は、
スイクンさんのそれとは比べるに値しない小さな事なんだと
思います。
そう思うことで、前向きに実践できる自分を手に入れることが
できるかもしれないと感じました。
大変、読み応えのある、貴重な情報をありがとうございました。
スイクンさん、これからも応援させてもらいますね!
けいぞうさん、どうもスイクンです。
この長い文章を読んで頂きありがとうございます!
誰かに勇気を与えられればと思い
この文章を残しておいてます笑
読んで頂ける方がいるのは非常に嬉しいです!
感動しました。
スイクンさんを応援します!
私もスイクンさんの発信する情報から勉強して、自由で豊かな生活を手にいれます